小雨が降る曇天下、やっと涼しくなった初秋を感じつつ、新宿駅南口の近未来的なサザンテラスや玉川上水旧水路上部の緑道を経て、みどり豊かな新宿中央公園を散策、都庁展望台にて変わりゆく東京を俯瞰す。
残暑厳しい中 奥多摩駅より海沢の三つ釜滝までハイキング。今回の散策Google Map
暑さも峠を越えましたが みどりの会メンバーと2時間 新宿御苑散策。運動不足解消に役立つ。
大半が外国人観光客。
カスリーン台風が関東地方を襲い甚大な被害をもたらしたのは昭和22年9月。小学校入学前の満6歳になる一月前で、漸く記憶が脳細胞に刻み込まれ出した時期。起床したら家の周り一面床下浸水していてビックリ。当時 現在のかつた市に住んでいて、親爺は水戸工場で電気機関車の製造課長で36歳。終戦直後の一番仕事の無い中で、この事業所を解体すべきかも議題に上がり、2年後のドッジの超デフレ政策で全社的に危機的状況。その追い打ちもあり昭和25年の労働争議で全社5555人の大量解雇に繋がった。翌年朝鮮動乱勃発で一転して好景気になり 親爺は発電所の水車を製造するために日立工場に転勤。
利根川の流れを 東京湾から現在の銚子沖に流す工事 所謂「東遷」命令をしたのが徳川家康。両毛の山岳地帯に折からの秋雨前線が停滞していたところにカスリーン雨台風が襲い数百㍉を一度に降らせたので 人間様の造った利根川堤防があちこちで破壊され、荒川の増水と相まって 一気に東京湾になだれ込んだ。この台風は自然が人間様に対するしっぺ返しだったのか?
浸水エリアは上記の地図の通り。カスリーン公園は渡良瀬川が合流する利根川の2~3㌔手前にある。前から気になっていた公園なので
栃木に行く前に立寄ってみた。
当時(昭和22年9月)の親爺の日記から;
・9/13(土);休日 朝より小雨 気温低し 午前中障子張り 子供と遊ぶ 午後 英一・早苗を連れて水戸に文房具を買いに行く 雨降り出す。
・9/14(日);天気悪し
・9/15(月);颱風近づく。朝より雨風 時々晴れ間あり 夕方より本式に降り出す。百合の誕生日 赤飯を炊く。10時頃より猛烈な雨 玄関に浸水 雨漏りを心配しつつ休む。12時玄関水に浸り、便所 勝手水が溢れる。増水止まず。1時頃雨本降りとなるも 1時半頃増水止む。休む。タタミ迄約1寸近くで 辛うじて濡れを免れる。
・9/16(火);水 可なり引ける。未だ家の周囲は水。畠は冠水。工場も水でビット類も満水。常磐線押し流され、勝田と日兵の所と2箇所 鉄道線路流される。午後 早退して家の整理をす。家の周りの水で障子を洗う。便所の下水で悩まされる。早く休む。
・9/17(水);朝 家の周囲の水 漸く退く。利根川の堤防決壊のニュースあり。物置の整理。昨日も今日も1/3位の出勤なり。夜涼しくなる。
・9/19(金);汽車未だに不通なり。
・9/20(土);休日 天気はっきりせず。家の整理をする。障子を張る。
・9/21(日);晴れ。朝 大根に肥やしをす。新職制を全員を集めて手渡す。チブス注射3回目終了。午後 幹部会。7時まで。禮子大きくなり苦しそうなり。子供よく遊び元気なり。
・9/23(火);子供達 始めて魚釣りを覚え 皆と出掛ける。足利より手紙。先の水害で床上2尺なりと。
・9/24(水);曇りのち晴れ。5時起床。畠の芋掘り。子供も一緒に起きる。終日蒸し暑いぐらい。久し振りに砂糖が配給される。
・9/25(木);朝から曇りにて 雨降り出す。毎朝子供も早起きなり。臨時幹部会。解体の件書類を見る。帰途急に大雨になり 降りつけられ 自転車途中で付き掛けられ転ぶ。大したことなし。禮子も買出しの帰りにびしょ濡れとなる。
・9/26(金);組合側スト態勢に入る旨 決議す。仕事は順調なり。夜 片付け等にてよく働く。給料一部内払い(2900円)。
・9/27(土);休日。5時より燃料の始末。物置の片付け。子供も先生の組合にて休みなり。珍しき好晴にて 3畳の濡れた畳を乾かす。ボロの整理、小豆の採集 2升位とれた。夜に入り雷雨あり。近所に落雷あり 朝迄停電す。
・9/28(日);工場内にて組合スト態勢に入る。夕方幹部会。夜 雨降る。
・9/29(月);雨後晴れ。組合は朝から大会にてストの気勢を挙げる。幹部会。十五夜の月は朝からの雨の上がった一層美しい。供え物として赤飯、イモ、梨、早速子供達に片付けられて了う。
以上