今回の<GoogleMap>
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五月場所開催中 墨田区のボランティアガイドによる両国に点在する相撲部屋並びに関連する歴史散策。
<今回のGoogleMap>
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<今回のGoogleMap>
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マンガの聖地・トキワ荘(手塚治虫をはじめとする昭和を代表するマンガ家たちが住み集い、若き青春の日々を過ごしたアパート。
現在、界隈にはトキワ荘マンガミュージアム〔外観・間取り・部屋・木造階段・外壁・内装・看板など当時の姿を忠実に再現した博物館〕を中心に、トキワ荘通りお休み処〔1階はショップ、2階には寺田ヒロオが住んだ4畳半の部屋が再現〕、トキワ荘通り昭和レトロ館〔豊島区立昭和歴史文化記念館。昭和の暮らしが感じられる生活の再現、豊島区の昔懐かしい街並みを再現したジオラマなど〕が開設。
付近にはトキワ荘に住むマンガ家たちが足を運んだゆかりの地が点在。一帯はマンガの聖地として多くのファンが訪れる名所に)
<散策のGoogleMap>
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神田川逍遥の第1弾として 今回は<川の流れが合わさるように>と東西線落合駅下車。早稲田通りと山手通りの交差点に旧国際電気の本社ビル(日産の販社ビル)があった。1995年にシンガポールから帰任して5年間勤務した懐かしいビル。
玄関先にてテスト撮影
昭和時代までは西武池袋線以北は「里山」であった。
武蔵野の面影は既に殆ど消え去り、新興住宅地が引きめしあっていた。
<コース>
吉祥寺駅よりバスにて40分で保谷駅
…あらやしき公園
(中央には大きな円形の芝生)
…下保谷四丁目特別緑地保全地域
(旧高橋家屋敷林。武蔵野の面影を今に)
…高橋家住宅
(江戸時代に交代名主を務めた7家の1家。主屋・土蔵・衣装蔵・納屋・表門は国の登録有形文化財)
…福泉寺
(木彫彩色三十番神神像は西東京市指定文化財)
…下保谷森林公園
(原生林を思わせるクヌギやコナラなど)
…大乗院
(山門は練馬区内最古の建物)
…保谷北町緑地保全地域
(コナラやクヌギの雑木林とそれと一体となった農地からなる区域。東京都の緑地保全地域に指定、武蔵野の景観を保全)
…北宮ノ脇公園(幼児から高齢者の方まで楽しめ憩える公園)
…天神社
(祭神は菅原道真。市内の木造建築でも古い拝殿、菅原道真石像、氏子中奉納題目塔二基は西東京市指定有形文化財)
……保谷駅から中村橋駅下車。バスにて阿佐ヶ谷駅駅へ。
散策の<GoogleMap>
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今回の<GoogleMap>
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新一万円札の顔・渋沢栄一足跡を訪ねて「日本橋金融街」と「日本橋本町」界隈街歩き。
♢集合場所 東京メトロ東西線「茅場町駅」
♢解散場所 日本橋三越前
♢見どころ
・澁澤倉庫(花王)
・東京証券取引所
・鎧の渡し跡
・兜神社
・銀行発祥の地
・海運橋親柱
・郵便発祥の地三菱倉庫
・江戸橋歴史展示ギャラリー
・長崎屋跡
・三浦按針遺跡
♢ガイド 中央区文化財サポーター協会
街歩き後 「5人組」と三越前のネボケで「足摺岬」コース懐石土佐料理で舌鼓。8時前帰宅。
唐木先生をお招きしての同期会は、関西在住の長濱さんは已むなくも、久しぶりに他メンバー揃っての会となりました。
大山さんには先生とのご連絡や当日の会場設営でいつものようにご尽力戴きました。有難うございました。
先生は、昔と少しも変わらず笑顔を絶やさぬ穏やかなご様子、年恰好もほぼ同世代ですから和やかに歓談されたかと思います。
山崎さんも完全復調されて意気軒高、対面久しぶりの市原さん、小出さん、高橋さんもそれぞれお元気そうで嬉しい会となりました。
先生からは「白石会総会に出席して居られた諸君は勿論、60年ぶりに会う諸君も、それぞれに昔の面影を宿して居り、時が流れたとは思えず、楽しく歓談しました。髭を生やした山崎君は道で会ったら分かりませんが、気概は昔通りであり、嬉しく思いました。
・・・ゼミの友人は、気の置けない幼友達や単なる遊び仲間とはやや違って、専門課程の2年間を同じく国際経済学を専攻しようとする同志が、真剣に見解を交換し合ったという点で、また格別なものがあります。皆さんお元気で、長く交友なさいますようお祈り致します」との皆さまへのメッセージ・メールがありました。
ここに、足立カメラマンに撮って戴いた当日の集合&スナップ写真、及び井上さん、渋谷さんがお持ち下さった昔の写真の一部を添付(1.3MB)しますのでご覧ください。足立さん、井上さん、渋谷さん、有難うございました。
ゼミ2年間の、そして卒業後に開いた同期会の写真などは一度整理して纏めることができるといいのですが・・・。
井上さん、渋谷さん・・・お預かりした写真は次回お目にかかった時にお返ししますのでご了承ください。
長濱さん 唐木先生には、長濱さんからは呉々も宜しくお伝えくださいとのこと、野尻湖のソフトボールで唐木投手から
3〜4本のヒットを連続して打った(唐木投手をノックアウト)ことを思い出すこと、をお伝えしました。一方、先生からは「岡野君は野球をやっていたのに全然打てなかった」とカンターパンチを喰らいました。球速が違うから、とフォローして下さいましたが私はノックアウトされました。添付写真で当日の雰囲気をご想像下さい。
以上 取り敢えず写真送付まで。
岡野
さて陳さんの件、早速お知らせ下さり有難うございました。
結果、ご無事でおられたようで何よりと存じます。
陳さんご夫妻も先生からのお見舞いにお喜びになられたことと拝察致します。
「幻の18期生」・・・直接の交流こそありませんでしたが、「塾員in台湾」のインタビュー記事を
読んで間接対面しておりますし、やはりこのような時には、如何されたか、と頭をよぎります。
同期メンバーにもお知らせしておきます。有難うございました。
岡野一彌
2024/04/04 0:04、唐木圀和 <karaki@h5.dion.ne.jp>のメール:
ご鄭重なメール並びに新旧の写真を沢山にお送り下さり、有難うございました。
いずれも良い記念になります。機会を見て、足立君にもよろしくお伝えください。
ところで、一昨日話題に上った陳俊龍さんですが、今日大地震がありましたので、少し余震も落ち着いた頃と思い、夕方、見舞いの電話を台北に致しました。
陳さんも奥さんも無事でしたが、近来にない揺れ方だったと話されている間にも、また揺れが来た模様です。18期生諸君との会で、陳さんのことが話題になったと話しましたら、力強い声で「そう」と嬉しそうでした。彼はもう米寿ですが、一昨日お話ししたように非常に元気であられます。
530-3776は、覚えやすいですね。富士山には、24ないし25歳の時、吉田口から頂上まで登りました。9合目を過ぎたあたりから、空気な薄くなったことを感じました。吉田の火祭りがある日で、初秋の気配が漂い、ものが遠くまでよく見えた記憶があります。
自然遺産としては無理なので、世界文化遺産として申請したようですが、かえって日本の象徴としては、その方が相応しいと今にして思います。学会があることは、初めて伺いましたが、文化、歴史、自然などテーマは尽きないことでしょう。
新型コロナの外出自粛が緩んだと思う間もなく、昨夏の猛暑、先日の長い寒さなどでつい出不精になっています。それを心配して、私のゼミの1,2期生有志で10年ほど前から2月に一度ほど行っている散策の会に、1年ほど前から誘ってくれています。
スピードが違うので、皆の運動にならないと懸念しながらも、毎回、行程の一部だけに参加しています。明日は、桜見物を主眼にして、早稲田大学の大隈講堂を出発点として、関口芭蕉庵、漱石の生家跡など短い距離を歩くそうです。天気予報がやや好転しましたので楽しみにしています。
ではまた。 唐木圀和
グローバルオピニオンリーダーである寺島実郎氏の講演を聴講。大山&渋谷兄も出席。
彼岸入り、早朝 鎌倉霊園へ墓参。
正月に除草剤を散布したことで雑草は皆無、
又 洗浄機で墓石&囲いの御影石を洗浄するも積年の黒墨は落ちず。
修三伯父のお墓にも立ち寄り線香を。
<コース>
田町駅
…新芝運河沿
(沿道には季節感あふれる樹木や花壇)
…オバケトンネル
(都内一天井が低いトンネルとして有名な珍スポット)
…高輪大木戸跡
(江戸の治安維持のため東海道に築かれた大木戸の遺構)
…稲荷神社
(ビルの2階にあるコンパクトな神社)
…泉岳寺
(忠臣蔵で有名な赤穂四十七士が眠る寺。境内には義士の遺品が展示されている赤穂義士記念館をはじめ、義士木像館、主税梅、首洗い井戸、血染めの梅と血染めの石、大石内蔵助吉雄銅像など赤穂義士ゆかりのものが点在)
…東禅寺
(幕末に日本最初のイギリス公使館が置かれた)
…高輪公園
(緑豊かな閑静な公園)
…グランドプリンスホテル高輪日本庭園(約2万㎡の美しい庭園。四季折々の表情を見せる花木や池のほか、貴賓館、茶寮惠庵、観音堂、の鐘楼山門・青銅灯篭、狛犬など歴史的・美術的に由緒ある史跡が点在)
…品川駅
【散策ルート】
JR「飯田橋駅」西口13:30→牛込見附門跡→神楽坂下→芸者新道→本多横丁→熱海湯→若宮八幡神社→昆沙門天善国寺→光照寺(牛込城跡)→袖摺坂→圓福寺→芸術倶楽部跡→赤城神社→成金横丁→神楽坂上→寺内公園→兵庫横丁→かくれんぼ横丁→軽子坂→JR「飯田橋駅」東口
花街情緒が薫る神楽坂通りの「逆転一方通行」は、午前中神楽坂上から神楽坂下へ、午後は逆に上りの一方通行となる。
これは神楽坂をこよなく愛した政界の実力者・田中角栄元首相の鶴の一声で決められたという都市伝説が流布している。
その理由は、午前は目白御殿と呼ばれた自邸を出て、神楽坂通り九段上から永田町・国会へ向かう。
帰りは反対に毎夜神楽坂の料亭「松ヶ枝」に立ち寄り料亭政治を行い、目白に帰宅するのが日課で、「逆転一方通行」はすこぶる好都合であった。
大磯に私邸を構えていた当時の首相吉田茂が東京に向かう際 元々は、東京 - 御殿場間の弾丸道路の一部として計画していた国道1号と東海道本線が交差する戸塚駅の北側にある「戸塚大踏切」の渋滞に業を煮やし建設を指示した逸話があり。
吉田のニックネーム「ワンマン宰相」から、「ワンマン道路」あるいは「ワンマンバイパス」という異名をとった。
有史以来 時の権力者の行動は一緒。
我が家にも春。紅白の南高梅が満開。
前々日の可成り積雪が庭園の趣を一層引き立てる。
水戸徳川家の祖・徳川頼房が江戸の上屋敷の庭として造ったもので、二代藩主・徳川光圀の代に完成した庭園。
光圀は作庭に際し、中国の教え「天下の憂いに先立ちて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名づけた。
随所に中国の名所の名前をつけた中国趣味豊かな景観が醸し出された「回遊式築山泉水庭園」
になっている。
園内には約150本のウメが植栽。見頃時期には辺り一面に馥郁たる香りが漂い和やかな趣を感じさせる。毎年2月には「梅まつり」が開催。
日本文化を伝えるコンサートや江戸庶民の文化・大江戸玉すだれ、植木市、水戸の名産品・軽飲食の販売などが。特別史跡及び特別名勝に指定。入園料:65歳以上150円
<散策のGoogleMap>
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人形町駅から開始。
日本橋七福神巡りは、距離が短く日本で一番参拝が短時間に出来るといわれていますが、
実際は 日曜日の午前中と言うこともあって各神社とも物凄い行列。唯々 道路を隔てての遥拝とスマホのボタンをクリックするのみ。
羽村市のスナック「トーク」で五年振りの現役/OBの新年会。
参加者は以前の半減。
旧「国際電気」は股裂きに遭遇し、日立グループから消滅。
一つは通信情報分野の現「日立国際電気」。日清紡ホールディングス株式会社に売却され再出発し消滅する。実質は「日本無線」に吸収される。20数年前に予測した通り。
もう一つは半導体製造装置の現「KOKUSAI ELECTRIC」、昨年上場を果たし、更なる成長が期待されるが、そのうち 東京エレクトンと一緒になって世界制覇を果たして貰いたい。
モノづくりを放棄した日立製作所の犠牲会社の一つである。
文京区の観光ガイドと巡る「江戸のパワースポット白山・駒込コース」約3時間/4㌔の散策。
散策の<GoogleMap>
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当分の間は運転を続け、老化を先伸ばすために新車に切替える。
車の安全運転性能は確実にデジタル化により向上していが、呆けも加わって 操作やマニュアルを理解出来ないのが悩み。
当阿佐谷北3丁目の鎮守様である「天沼熊野神社」でお祓いをする。
縁あって「スーパーロボ 秘める驚異の魔力」を著者の松延英治さんを連れてプレゼンする。
要は「人工新人類」の開発・生産を 世界に魁て「国家プロジェクト」にして 日本再生の提案。
政治改革ではなく、政治屋改革を!とは言わなかったけれど、どうしても桜の散る前に政権交代が幹事長の本音であろうか?
スキマの時間が何時空くのが判らないので、前もって会館玄関先で待機、観察していた。世襲議員が続々と慌ただしく入ってくる。
政界の一寸先は闇!
**************************
幹事長は佐野市寄りの足利市の山奥育ち。世襲議員でないのが気に入っている。親爺と同じ郷里なので昔から存じ上げていた。
You Tubeによれば 宰相が務まる器ではなく、頭は切れるかも知れないが、何故か人望がない。
然し乍ら 権力とお金、それと票を確実にするためには努力を惜しまない。
今回の段取りも 栃木市エリアの票取りまとめ応援団長(40年来のポン友)に仲介して貰った。
「30年以上先に実現するであろう課題」には理解を示しているが、この技術は米国陣営と独裁国家陣営との鍔迫り合いになるでしょう!
尚 プレゼン資料は下記のPPT。
まぁ この国民不在の政局下、超多忙の幹事長室を30分間占拠した当方の作戦勝ちか?
<散策のGoogleMap>
https://www.google.com/maps/d/pdf?hl=ja&mid=1T2FZbjQ_kkEHh2FzTPV1UtVxcGVLnKI&pagew=792&pageh=612&llsw=35.697662%2C139.535409&llne=35.716863%2C139.590341&cid=mp&cv=rn2MuCxVpOc.ja.
最後の井之頭弁財天は 時間&体力切れでスキップ。
<コース>
武蔵境駅
…杵築大社:恵比寿神
(高さ10メートルのミニ富士と3つの池)
…本村公園
(境浄水場専用線跡地の緑道)
…グリーンパーク遊歩道
(旧国鉄武蔵野競技場線跡地を利用して作られた遊歩道。戦時中に設置された関前高射砲陣地跡)
…延命寺:毘沙門天・寿老人(入口に阿形、吽形の金剛力士像、社殿前に平和観音像)
…第五小学校前〜武蔵野八幡宮はバスに乗車
…大法寺:福禄寿
(静かな境内に吉祥観音像、お徳地蔵像)
…安養寺:布袋尊
(梵鐘、庚申供養塔は武蔵野市指定文化財)
…武蔵野八幡宮:大國様
(旧吉祥寺村の鎮守。文化10年記銘の石の鳥居、狛犬、井の頭弁財天を示す道標)
…井の頭弁財天:弁財天
(井の頭池中の島に鎮座。弁財天像は最澄作。宇賀神、狛犬、鳥居、手水鉢、石橋、石燈篭など多くの寄進物)
…吉祥寺駅
年賀墓参に出掛ける。
今回の目的は高圧洗浄機(コードレス)を持ち込み、墓石や墓誌の初めての垢落とし。
寒風の中 躑躅がひっそりと一輪狂い咲いていた。
毎年恒例の土佐料理「ネボケ」(司)のお節料理を取り寄せる。
「ネボケ」(司)とは 日の丸五本骨扇の家紋が一緒なので何か先祖と縁があるのであろう!
時の流れが
ほんの一瞬、静止する
初明かり、初日、初晴れ、初春、
すべてがあらたまり、はじまる
我家の「家紋」は 左の「日の丸五本骨扇紋」である。
「家紋」そのものは、平安後期に発生し、家の印として用いられ、公家社会では調度品や牛車につけられていたが、家長を中心とした家族の家名を図柄で表したものが「家紋」。
源平時代になると、源氏が白旗、平氏が赤旗を用いる。同じ源氏でも、各陣営にも目印が必要で、旗色鮮明にしなければ戦場で動けないし、戦功をはっきり認識させるためにも家紋は必要。
この家紋は 足立姓の遠祖である武蔵国足立郡在住の藤原遠兼が使いだした。今から約1000年前、鎌倉幕府成立の約100年前である。その息子の遠元(通称は右馬允、1130年生まれ)が 足立姓を初めて名乗り、家紋は「日の丸五本骨扇紋」を引き継いでいる