4-2 素直で頑張り屋の母チヨ 小平家の守護神

 母チヨは三女であった。姉二人が早々と嫁いでしまったので家付き娘として18歳で 惣八を入り婿として迎える。38歳で未亡人となり、第一高等中学生の長男儀平を頭に7人の子供が残された。加えて文化11年(1814年)生まれの老母ヨシ、夫の先妻の連れ子(娘)シゲ(明治元年(1868)生まれ)の面倒も見ていた。残されたものは夥しい借財に加えて 遺言には 儀平、浪平を引き続き修学をさせよと書き残したと言う。

 

 然し乍ら チヨと儀平は覚悟していたのであろう,儀平は家督を相続せざるを得なかった。親族会議を開き、退学の勧告を受け ついに儀平は涙を飲んで同意し、医学を修めんとする年来の宿志を放棄せざるを得なかった。翻意した儀平は一転すると、雄々しくも「弟の浪平だけはどうあっても大学まで行かせなければならぬ」と決意した。母チヨは哭いて謝したと言う。


             上の写真は曾祖父の13回忌の写真である。