我家の「家紋」は 左の「日の丸五本骨扇紋」である。
「家紋」そのものは、平安後期に発生し、家の印として用いられ、公家社会では調度品や牛車につけられていましたが、家長を中心とした家族の家名を図柄で表したものが「家紋」です。
源平時代になると、源氏が白旗、平氏が赤旗を用いましたが、同じ源氏でも、各陣営にも目印が必要で、旗色鮮明にしなければ戦場で動けないし、戦功をはっきり認識させるためにも家紋は必要でした。
この家紋は 足立姓の遠祖である武蔵国足立郡在住の藤原遠兼が使いだした。今から約1000年前、鎌倉幕府成立の約100年前である。その息子の遠元(通称は右馬允、1130年生まれ)が 足立姓を初めて名乗り、家紋は「日の丸五本骨扇紋」を引き継いでいる。